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絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の7

山崎雅弘著のロンメル戦記
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
昨日の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思いました。

第五章『ドイツ・アフリカ軍団(DAK)』の途中からになります。
対仏戦は終わったが陸軍上層部を支配していた空気は
決してロンメルに対して好ましいものではありませんでした。

○ヒトラーから個人的好意を寄せられて
「贔屓」されていること
○ナチ党の宣伝に積極的に協力していること
○作戦中にたびたび上官の命令を無視したり
隣接する師団との協調を拒絶したりしたこと

これらのことが陸軍上層部に
広く知れ渡っていました。

1941年1月11日 陸軍総司令部はリビア阻止部隊(Sperrverband Libyen)
(後に若干の追加部隊を得て
→「フンク軽自動車化師団」→「第5軽師団」と名称は変わっていきます)
と名づけた部隊を指揮官をハンス・フォン・フンク少将として編成しました。

師団の内訳は
・第3装甲偵察大隊
・第39,559,605装甲猟兵(対戦車砲)大隊
・第2,8機関銃大隊
・第33高射砲大隊第一中隊
となります。

主要な抜粋は上記ですが補足的に抜粋すると
対仏戦後に論功行賞が行われましたが
ロンメルの階級には変化がありませんでした。

1941年になり年が明けた1月1日に
ロンメルは中将に昇進しました。

ムッソリーニ率いるイタリアは参戦してなかったのですが
ドイツの連勝に焦ったムッソリーニは参戦を決意しました。

軍人を含むほとんどのイタリア国民は、
ムッソリーニの宣戦布告演説を冷めた目で見ていました。
カトリック教徒が大多数を占めるイタリア国民の多くは、
新教(プロテスタント)のドイツと無神論のソ連によって、
カトリック教国であるポーランドが
分割併合された事実に衝撃を受けていたからである。

1940年12月9日に開始された英連邦軍の反攻作戦で
エジプトに領内に進行していたイタリア軍は大損害を被り、
イギリス軍がリビアに雪崩れ込んでくる事態となっていました。
ヒトラーは事前連絡のないイタリアのギリシア侵攻とその失敗や
ムッソリーニに高飛車に援軍を断られたために
ヒトラーのムッソリーニに対する感情はかなり悪化していました。

リビア領内の港湾バルディアが陥落し、
リビア東部の要港トブルクが危機に瀕すると
ヒトラーは重い腰を上げてイギリスの戦意を挫くために
北アフリカに自国の軍隊を送ることを決めました。

ヒトラーは最初に北アフリカに派遣する軍団の司令官を
マンシュタインと考えましたが
この時にはより大きなソ連侵攻作戦を構想している段階だったために
ロンメル将軍に白羽の矢が立ちました。

ここから感想ですが
こう読んでみるとヒトラー政権下での
ドイツ軍というのをよくも悪くも体現している
高級将校なのだとは思います。

また来週の土日にこの本の続きを読みたいと思います。
それとこの書籍とは関係がないのですが
このブログと関係する戦争漫画を描く上では
大分前に見てなかなかキツくて
見終えることが出来なかった
東宝の二百三高地という戦争映画があります。
こちらも出来たら再度見てみたいと思いました。

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