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絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の5

山崎雅弘著のロンメル戦記
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
昨日の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思います。

第四章『第7装甲師団長として対仏戦で活躍』からになります。
1940年2月10日 第7装甲師団長としての勤務をスタートした。
1940年2月17日 ベルリンでヒトラーと面会し、
            装甲師団長への就任を報告した。

ロンメルは第7装甲師団長の前任者であるシュトウンメに
ロンメル「装甲師団を指揮するコツを教えて頂けませんか。閣下」と聞くと
シュトウンメ「実行可能な方策が2つあったとして
常に大胆な方を選ぶといい。それが一番だよ」と言われました。

1940年5月10日 ドイツ軍の西方攻勢《秘匿名「黄の場合」》が開始されました。

少し補足を入れると1940年2月17日にロンメルは
餞別としてヒトラーから「楽しい思い出と共にロンメル将軍に送る」と書き添えられた
「わが闘争」を手渡されたそうです

第7装甲師団の戦車兵力は
計225両で
III号指揮戦車 8両
I号戦車 34両
II号戦車 68両
38(t)戦車 91両
IV号戦車 24両
からなっていました。

ロンメルは38(t)戦車(ドイツに併合されたチェコ製の戦車)は
時代遅れの数合わせの戦車ではないかと思いますが
同車の10トンに見たない車重は
ロンメルの意図している
機動的な運用に適合していることが判明します。

ドイツの対仏作戦は当初は第一次大戦の
シュリーフェンプランと大差ないもので
マンシュタインの装甲部隊でアルデンヌを突破する案は
相手にされず執拗に自説を主張したマンシュタインは閑職に
回されたりしてしまいます。

マンシュタイン案はヒトラーの朝食会にて
マンシュタインが自案を披露する機会を得たことで、
ヒトラーは次第にその虜となって行き、
参謀本部でも兵棋演習が重ねられて
必ずしもこの案が非現実的でないことが理解されて行き、
ドイツの対仏作戦は劇的に変化しました。

とまとめて来ました。
よく考えてみると北アフリカ戦でのロンメルというのは聞きますが
対仏戦でのロンメルというのは余り聞いたことがなかったので
これから読んで行きたいと思います。
また来週の土日にでもこの本を読みたいと思いました。

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