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タミヤのMMシリーズを組み立ててメカを描く練習 その8 No352 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファント その2

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントの外箱
1枚目、昨日の記事に続いて
タミヤのプラモのドイツ軍重駆逐戦車エレファントを組み立てます。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントの戦車の車体 その1
2枚目、主砲は除いて組み立て手順の1~17の内の
1~4で車体の基礎はほぼ出来上がりました。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントの車体 その2
3枚目、後方から。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントの車体 その2
4枚目、車体真後ろから。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントの車体下部 その4
5枚目、車体前方から。

ということでプラモを昨日に続いて組み立てました。
ものすごくでかさを感じます。

今回はスケッチはせずに行こうと思います。
組むだけでも多少は立体としての理解が深まるといいですが
出来ればスケッチもやってもっと理解を深めたいところです。

タミヤのMMシリーズを組み立ててメカを描く練習 その8 No352 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファント その1

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントの外箱
1枚目、午前の記事で書いたタミヤの1/35 重駆逐戦車エレファントが届いたので
これから組んで行こうと思います。
まずは外箱です。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントのパーツ一覧
2枚目、参考のためにパーツも撮影しました。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントの戦闘室 その1
3枚目、組む前に大きいパーツは撮影しておこうと思います。br /> これは戦闘室になります。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファント戦闘室 その2
4枚目、別角度から。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントの車体下部 その1
5枚目、こちらは車体下部です。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントの車体下部 その2
6枚目、車体下部を別角度から。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントを少し組んだ物 その1
7枚目、ちょっと車体下部を組んだ物と戦闘室とエンジングリルを合わせて撮影しました。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントを少し組んだ物 その1
8枚目、別角度から。

ということでプラモを少し組み立てました。
立体としてつかめる一助となればと思います。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.325 ドイツ軍 重駆逐戦車エレファントを少し組んだ物 スケッチ
9枚目、戦闘室のパーツをスケッチする。

プラモは小さくても三次元に存在している物なので
9枚目のような形でスケッチして行きたいと思います。

それでプラモをスケッチした絵は
もう一枚あったのですがパソコンが落ちて再起動してしまったので
保存したファイルがなく少し悔しいです。

明日も出来たらプラモを組みつつ
スケッチしたいと思いました。
立体の感覚も鍛えたいと思います。

絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の5

山崎雅弘著のロンメル戦記
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
昨日の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思います。

第四章『第7装甲師団長として対仏戦で活躍』からになります。
1940年2月10日 第7装甲師団長としての勤務をスタートした。
1940年2月17日 ベルリンでヒトラーと面会し、
            装甲師団長への就任を報告した。

ロンメルは第7装甲師団長の前任者であるシュトウンメに
ロンメル「装甲師団を指揮するコツを教えて頂けませんか。閣下」と聞くと
シュトウンメ「実行可能な方策が2つあったとして
常に大胆な方を選ぶといい。それが一番だよ」と言われました。

1940年5月10日 ドイツ軍の西方攻勢《秘匿名「黄の場合」》が開始されました。

少し補足を入れると1940年2月17日にロンメルは
餞別としてヒトラーから「楽しい思い出と共にロンメル将軍に送る」と書き添えられた
「わが闘争」を手渡されたそうです

第7装甲師団の戦車兵力は
計225両で
III号指揮戦車 8両
I号戦車 34両
II号戦車 68両
38(t)戦車 91両
IV号戦車 24両
からなっていました。

ロンメルは38(t)戦車(ドイツに併合されたチェコ製の戦車)は
時代遅れの数合わせの戦車ではないかと思いますが
同車の10トンに見たない車重は
ロンメルの意図している
機動的な運用に適合していることが判明します。

ドイツの対仏作戦は当初は第一次大戦の
シュリーフェンプランと大差ないもので
マンシュタインの装甲部隊でアルデンヌを突破する案は
相手にされず執拗に自説を主張したマンシュタインは閑職に
回されたりしてしまいます。

マンシュタイン案はヒトラーの朝食会にて
マンシュタインが自案を披露する機会を得たことで、
ヒトラーは次第にその虜となって行き、
参謀本部でも兵棋演習が重ねられて
必ずしもこの案が非現実的でないことが理解されて行き、
ドイツの対仏作戦は劇的に変化しました。

とまとめて来ました。
よく考えてみると北アフリカ戦でのロンメルというのは聞きますが
対仏戦でのロンメルというのは余り聞いたことがなかったので
これから読んで行きたいと思います。
また来週の土日にでもこの本を読みたいと思いました。

絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の4

山崎雅弘著のロンメル戦記
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
先週の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思います。

第3章『戦間期の軍務とヒトラーとの出会い』の途中からになります。
1939年9月1日 ドイツ軍は隣国ポーランドへの侵攻を開始した。
そのポーランドと英仏は長年に渡り軍事面における協力関係にあった。

ポーランドはドイツに降伏し、
西半分はドイツに東半分はソ連の物となりました。
そして、ロンメルはポーランドの首都のワルシャワで
戦勝祝賀式典の警護責任者となります。

ヒトラーはオープンカーで市の中心部に向かいますが
捕虜となりガレキの除去作業をしていた
ポーランドの工兵は大量の爆薬を街路の地下に
埋設することに成功します。

しかし、爆薬は爆発しませんでした。
理由は今なお不明なようです。

もしここでヒトラーが爆殺されていたら。
警護責任者であるロンメルもただでは済まず。
最期の時を迎えていた可能性が高かった。

対ポーランド戦で見聞きした装甲師団の戦いぶりにより
ロンメルは装甲師団を率いて戦場で戦いたいと思うようになります。
ヒトラーにその意志を伝えると
ヒトラーは警護という任務を全うしたロンメルに対して
何かしらの報奨を与えたいと思うようになります。

ロンメルは陸軍から山岳師団の師団長に任じる内示を受けました。
第一次大戦の軍功を考えるとそれが適任と
考えられたからでした。

しかし、ロンメルは装甲師団を指揮したいとその内示を拒絶しました。
陸軍人事局は歩兵将校上がりのロンメルでは
専門知識が求められる装甲師団の指揮は無理だと
ロンメルの希望に何色を示しました。

本来ならここで終わる話が
どのようなルートで何が手配されたかは分かりませんが
陸軍省の反対は突然取り下げられて、
ロンメルは総統司令部管理部長を退任し、
第7装甲師団の師団長に任命されました。

という訳で第3章を読み終わりました。
軍隊の中の人事と独裁者の関わりを
少し読めたと思います。

出来たら明日も読みたいと思いました。
ミリタリーはなかなか難しい分野ですが
少しでも理解に努めたいと思います。

絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の3

山崎雅弘著のロンメル戦記
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
先週の記事に続いて読んで行こうと思います。
少し抜粋したいと思います。

『第三章 戦間期の軍務とヒトラーとの出会い』からになります。
1933年10月10日に第17歩兵連隊第3大隊長に任命され、
同日付で少佐へと進級した。
第17歩兵連隊はドイツ中部のハルツ山脈にあるゴスラーという街に
駐屯しており、第3大隊はかつヴェルテンベルク山岳大隊と同様、
機動的な運用を期待されて、
「猟兵(イェーガー)大隊」と呼ばれていた。

1933年1月30日 ヒトラーがドイツ首相に就任した。
1934年9月30日 ロンメルの連隊をヒトラーが訪問した。
1935年3月16日再軍備宣言により、
ドイツ国軍(ライヒスヴェア)はドイツ国防軍(ヴァハマト)になる。

ヒトラー率いるナチ党は陸軍総司令部と
軍事政策を巡り対立するようになる。

1937年2月 陸軍省の命令でポツダムの歩兵学校教官を退官し、
ヒトラー・ユーゲントに陸軍の特別連絡将校という肩書きで配属された。
1938年9月 ヒトラーの身辺警護の辞令が下ります。
1938年11月10日 併合されたオーストリアの士官学校の校長に就任した。

第2章 第一次世界大戦での目覚ましい活躍の後半では
山岳大隊に配属になり、イタリアを相手に戦うことになります。
そして、章題にある通り目覚ましい活躍をして終戦となりました。
その後の上でざっと挙げたことについて第3章になってからのことを補足して行きます。

第一次大戦終戦後に任命された第13歩兵連隊での中隊長勤務は
1929年まで9年間続きます。
1929年10月1日付けでドレスデンの歩兵学校で下級教官として勤務することになります。
同校の勤務は四年間でその後は上に挙げた
1933年10月10日に第17歩兵連隊第3大隊長に任命されるにつながります。

その後のことも補足すると
ロンメルは1937年に講義で使っている原稿やスケッチをまとめて
「歩兵の攻撃」という書籍を出版し、ベストセラーとなりました。

ヒトラーの身辺警護の仕事ぶりや
第一次大戦で従軍経験のあるヒトラーは
前述の「歩兵の攻撃」を読んでロンメルを気に入り、
ロンメルはヒトラーお気に入りの高級将校の一人となりました。

ロンメル戦記を読み流れとして
押さえておくべきだと思ったところを抜粋しました。
一人の人物の履歴を追うことで
大きく言えば軍隊の中の人の動きや
狭く言えばドイツ軍の中での
将校の扱いも少し分かる面があると思います。
また明日も続きを読んで行きたいと思いました

絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の2

山崎雅弘著のロンメル戦記
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
昨日の記事に続いて読んで行こうと思います。
少し抜粋したいと思います。

『第二章 第一次世界大戦での目覚ましい活躍』の続きからになります。
いつしか同連隊の兵士の間では敬意を込めて
「ロンメルのいるところ、それが戦場だ」
との言葉が交わされるようになった。

ロンメルは昨日抜粋した文章にあったように
「奇襲の重視」「側面からの迂回」というのを重視した訳ですが
西部戦線では正面からの突撃が
防御側の陣地からの機関銃でなぎ倒されるという
防御側がかなり優位な状況となっており、
それを感じ取ったロンメルは
以後慎重な用兵を心がけるようになったようです。

こうこのロンメル戦記を読むと
前に読んだ学研アーカイブvol.2の戦術入門と
vol.3の現代戦術への道が思い起こされます。
ドイツ側が第一次大戦で用いた
浸透戦術の走りをロンメルはやっているようです。
この浸透戦術が第二次大戦での
ドイツの電撃戦につながって行くというのは
頭に置いておきたいと思いました。
また来週の土日にミリタリーな本を読もうと思います。

タミヤのMMシリーズを組み立ててメカを描く練習 その7 No259 ドイツ軍 クルップ プロッツェ (6×4) その2

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.259 ドイツ軍 クルップ プロッツェの外箱
1枚目、昨日と気分を変えるべく
先月の記事に続いてこのプラモを組立てようと思います。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.259 ドイツ軍 クルップ プロッツェの車体と兵士 その1
2枚目、途中まで組み立てたクルップ プロッツェと兵士を並べて
デジカメで写真を撮りました。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.259 ドイツ軍 クルップ プロッツェの車体と兵士 その1
3枚目、ほぼ前方から。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.259 ドイツ軍 クルップ プロッツェの車体と兵士 その1
4枚目、後方から。

ということでプラモを組み立てました。
戦車は細かい部分は車体の中ですが
こういうタイヤを持った車両は
車体下部が細かったりするので結構大変です。

メカを描く上で言えば
こういうプラモを組み立てるのも練習の内だと思います。
今のところ第二次大戦の兵器にほぼ絞っていますが
余裕が出来たらガンプラとかにも手を出せるといいと思いました。

絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の1

山崎雅弘著のロンメル戦記
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
これから読んで行こうと思います。
少し抜粋したいと思います。

『第一章 生い立ちと少年時代、陸軍への入隊』からになります。
プロイセン王国の貿易港ダンツィヒにある王立士官学校
(ケーニヒリッヘ・クリークスシューレ)に入学した。

「大戦争(ザ・グレート・ウォー)」と呼ばれた戦いは
後に「第一次世界大戦」と呼ばれます。

ドイツはシュリーフェンプラン(計画)において、
先ずはフランスを次いでロシアを倒す計画を立てました。

『第二章 第一次世界大戦での目覚ましい活躍』に入ります。
そして、彼がこの時見せた
「迅速な判断」「奇襲の重視」「敵の誘導」「側面からの迂回」
といった戦術手腕はこれ以後もロンメルの
部隊指揮における重要な要素としてさらに磨きをかけられ、
やがて彼を「伝説の名称」へと導く上での
大きな武器となったのである。

第一章ではロンメルが少尉任官後に
彼女がいたのですが他の女性と親しい関係になり、
その女性が妊娠し、出産した後に
自ら命を絶ってしまったことも書かれていました。

第二章で抜粋した文章は
ロンメルの第一次大戦での初陣が
勝利に終わったことを受けての文章となります。
敵の弱点を見抜き戦果を
拡大するといったところだろうかと思いました。

この本を読もうと思ったのは
一度高級将校の戦記を読んでおこうと思ったからで
こういう本を読むことで軍隊というものを
つかみやすくなるのではないかと思いました。
自分の作る物にリアリティを与えられるといいとは思います。

タミヤのMMシリーズを組み立ててメカを描く練習 その6 No.309 ソ連軍 BT-7戦車 1935年型 その4

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.309 ソ連軍 BT-7戦車の外箱
1枚目、今日は約1週間前の記事の続きでこのタミヤ製のBT-7戦車をちょっと組み立てました。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.309 ソ連軍 BT-7戦車の車体と砲塔 その1
2枚目、前にデジカメで撮った時に枚数が多かったので ブログに上げきれなかった写真2枚を先にブログに上げます。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.309 ソ連軍 BT-7戦車の車体と砲塔 その2
3枚目、ブログに上げきれなかった写真の2枚目です。
前から俯瞰で撮りました。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.309 ソ連軍 BT-7戦車の車体と砲塔 左側面から
4枚目、ここから今日組み立てた写真になります。
左側面から撮りました。

タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ No.309 ソ連軍 BT-7戦車の車体と砲塔 右前方から
5枚目、右前方から。

ソ連軍のBT-7戦車を描く 左前方から
6枚目、左前方から

ということでタミヤのソ連軍BT-7戦車を組み立てました。
BT-7戦車は割と細長い車体をしているのだと思います。

兵器のプラモを組み立てたということで
次はミリタリーな本を読んでそれをまとめてみようと思います。
戦争漫画を描く上での一助になればと思いました。
後は今日一枚ぐらいミリタリーな絵を描ければと思いました。

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軍事系のプラモを組んでミリタリーなプラモや漫画を描く一助とするためのブログの管理人です。

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