西部戦線のドイツ軍対連合軍 連合軍の飽和攻撃 その1の2(2) 一転直下の急襲
今日は朝早く起きたので大分前の記事で描いた漫画を修正しました。
今になって昔の漫画を見直してみると
コマの中に意味のない余白があって
多分これだと読む人の視線を誘導出来ないと思ったのでで
その辺の修正とこのページに出ている
中年の男性がコマをまたいでも
同一人物と分かるようにしようと修正入れました。
4コマ目は戦車から飛び降りている動作な訳ですが
全く上手く描けませんでした。
まだ描く力が足りないと思います。
今日はプラモも組んでみたいと思いました。
西部戦線のドイツ軍対連合軍 連合軍の飽和攻撃 その1の1(2) 敵戦列見ゆ
だいぶ前の記事で描いた漫画を今日は修正しました。
3コマ目も戦車長の顔はリアルにしようと思ったら
かなり怖くなってしまいました。
樹木の葉と茂みは使ったブラシが合ってないので
変な塗りになってしまいました。
樹木の葉はCLIP STUDIO PAINTで言うところの
粒子サイズがでかすぎたようです。
ということでこの漫画のシリーズに修正を入れて行きたいと思いました
また時間を取って取り組みたいと思います。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その18(2) ファシストの新戦車 清書の修正
一昨年の記事の続きで今日は漫画のラフの清書を修正しました。
ということで一昨年の漫画では
参謀総長の顔を直接潰すような展開でしたが
ヴォロシーロフ国家防衛委員を立てることにしました。
(コーチン技師の義理の父でもあるので)
この漫画のシリーズに関しては今直せる範囲は直したと思います。
次に手を入れる機会があればもっといい物に出来るよう
力をつけたいと思いました。
また時間を取って取り組みたいと思います。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その10(2) パーヴェル・ロトミストロフ少将の証言
一昨年の記事の続きで今日は漫画のラフの清書を修正しました。
今回このページで一番直したかった
最後のコマの人の顔のアップは
少しリアルさを足せて
元の人物の顔も反映出来たのではないかと思います。
1コマ目だったりの背景を描くことが大きいコマでは
会議室の装飾という物を描き足せるようになる
必要はあると思います。
背景も人物もまだまだと思いました。
また時間を取って取り組みたいと思います。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その8(2) 国家防衛委員会の開催 清書の修正
1枚目、一昨年の記事の続きで清書した物に修正を加えました。
参謀本部作戦局次長を入れたので
コマ割り、セリフ等を変えました。
会議の見せ方は結構難しいと思います。
その辺をもっと描けるようになれればと思いました。
ただ、顔は少しよく描けるようになったと思います。
また時間を取って取り組みたいと思いました。
2枚目、修正前の物になります。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その7(2) 国家防衛委員会開会の辞 清書の修正
一昨年の記事の続きで清書した物を
コマ割り、セリフ、絵等を修正しました。
少し前から思っていましたが
参謀総長自ら戦況を説明するのは
ちょっと違うかと思ったのと
スターリン絡みのセリフ運びを変えました。
修正の主眼としては
もうちょい政治を感じてもらえないと
ミリタリーな漫画としては片手落ちなので
今後の修正でもその辺を
重視して直して行きたいと思います。
次の記事でプラモをやって
今日は終わりにしようと思いました。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その6(2) スターリン同志の入室 清書
一昨年の記事で清書したページをCLIP STUDIO PAINTで修正を加えました。
背景が真っ白というのは気になっていたので
今日はその辺を中心に修正を加えました。
次のページから会議が始まるので
会議の進行等に修正を加えて行きたいと思います。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その4(2) 清書 KV戦車系列の責任者として召喚される
一昨年の記事の続きで今日は漫画を修正しました。
この漫画のシリーズの会議の場面を描き直したいということで
今日はまずその前にあるページに修正を加えました。
首都モスクワ クレムリンのコマの建物は
描いた時から気になっていたので
今日はそこと電車内の場面などに修正を加えました。
この後に会議の場面になるので
そこで気になったところを修正したいと思います。
プラモもやっていたので
次にその記事を作って今日は終わりにしたいと思いました。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その12(2) 清書に加筆
去年7月の記事の続きで今日は背所した漫画に加筆を行いました。
この漫画のシリーズのURLはこちらになります。
今回最後のコマのKV-1重戦車を塗るに当たって
トランペッターのプラモを組む その4で組んだKV-1重戦車を
写真に撮って参考にしました。
1枚目、最後のコマの参考にしたプラモの写真です。
2枚目、こちらは砲塔を旋回させとけばよかったです。
という訳で過去に描いた漫画を振り返って
描き込みが足りない物に加筆を行いました。
このベタ塗り加筆もそんなに見た目がよくないので
やっぱり何か違う方法を考えないといかんかと思いました。
次の記事で何をやるのかは未定です。
大祖国戦争のソ連赤軍 その5 赤軍大粛清に伴う将校の階級繰り上げ ラフ、清書
前の記事の続きでラフを清書しました。
2枚目、1枚目に使ったラフになります。
どうもセリフが説明臭くなってしまいました。
難しいところです。
続きの漫画は明日やろうと思います。
次の記事はプラモを組んだ記事にしようと思いました。
大祖国戦争のソ連赤軍 その4の2 ソビエト国内への一斉放送 清書
前の記事の続きでラフを清書しました。
人の顔を描いていて昔から自分は
目と鼻の距離を開けすぎで
開けすぎているから他の部分でバランスを取り
それが描いた顔が活きた顔にならない原因の一つだと思いました。
顔はかなり重要なので
もう少し上手く描きたいと思いました。
ただ、最近はプラモのスケッチもあんまりやっていないので
男性の顔かプラモのスケッチかどちらかやりたいと思います。
大祖国戦争のソ連赤軍 その4の1 ソビエト国内への一斉放送 ラフ
昨日の記事の続きのラフになります。
昨日の記事ではソビエト国内への放送を聞いている人達は
コマの中で正面を向いていた訳ですが
描いた後でこれだとあんまり放送を聞いているように見えないということで
今日は全面的にニコ動内のドキュメンタリーを参考にして
斜めを向いている形でスケッチ的に漫画のラフとして絵に起こしました。
これから清書して行きたいと思います。
大祖国戦争のソ連赤軍 その3 ドイツ軍の侵攻開始 ラフ、清書
1枚目、今月の記事の続きとなる漫画でラフを清書しました。
2枚目、1枚目の前のラフになります。
という訳で漫画を描きました。
今回はニコ動でドキュメンタリーを見まして
それを文と絵の参考にして
漫画を描いています。
男性の顔があんまり描けないとは思います。
今日はプラモ等も組んだのでそれも記事にしつつ
男性の顔に取り組んでみたいと思いました。
次の記事はプラモです。
大祖国戦争のソ連赤軍 その2 ソ連赤軍最高幹部8人の粛清 清書
先月の記事の続きとなる漫画でラフを清書しました。
この後ドイツが侵攻して来る訳ですが
ソ連のどこというか誰に視点を置くのかが難しく
敗戦が続きますし、逃亡して生き残るとすると
懲罰大隊行きになってしまうんじゃないかというところで
ある程度生存して戦争の過程を描ける
立場の人物をどうにか設定したいと思います。
絵については3コマ目はレンガの線を入れた方がよかったと思います。
背景もちゃんと描き込もうということで
1コマ目は2階建てでNVKD本部を描きましたが
NVKDの建物の画像なんて調べてもないだろうと思ったら
現在でも使われていて現FSB、連邦保安庁の庁舎ということで
画像が見つかりまして、それが2階建てでは全く無かった訳ですが
1ページ目の絵とつながりが分からなくなるので
変更せずに行きます。
ただ、周りの背景は現代の写真を参考にして描き入れました。
明日は将兵と骨格、筋肉をやりたいと思います。
今日はこれで終わり。
大祖国戦争のソ連赤軍 その1 NVKDの中庭にて赤軍最高幹部8人が 清書
先週の記事で描いた漫画のラフを清書しました。
今回は真っ白な背景だと全く世界を描けないので
出来るだけ背景を描き込むことにしました。
最後のコマが難しく描きこなせませんでした。
映画でも人の多い場面だったりをスケッチして
描きこなせるようになっておきたいと思います。
次の記事は戦車をスプレー塗装したので
それを記事にしようと思いました。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その19 スターリンの裁可下る 清書
一昨日の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。
第一話終わったので反省点としては
底本にある部分はよかったのですが
それがない部分はどうもリアリティがなく、
会議の運びもリアリティに欠けるものに
なってしまったと思います。
という感じなので
大事なのはどこに視点を置くかとだと思いますが
独ソ戦や大祖国戦争をその点に留意しつつ
また新たに漫画にしてみたいと思います。
明日は将兵をまたやりたいと思いました。
今日はこれで終わり。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その18(1) ファシストの新戦車 清書
一昨日の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。
政府でも上の方を題材とするとなかなか難しいと思いました。
今のところはちゃんと絵で漫画の世界に入ってもらうことを
目標としたいと思います。
そんなところで今日はこれで終わり。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その17 KV戦車生産ラインの転用の弊害 清書
今日の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。
なかなか絵もセリフもリアリティを出すのは難しいもので
課題は多いと思います。
まずは絵で漫画の世界に入ってもらわないと
ダメなので今日のこの後はそこら辺をやりたいと思います。
次の記事で具体的に何をやるのかは少し考えたいと思いました。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その16 KV戦車生産ラインの転用という提案 清書
昨日の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。
ちょっと定本からエピソードを混ぜて作っていて
ない物は想像なので
会話が軽い面があると思います。
なかなか戦争を扱う漫画は難しいです。
次の記事では塗装したプラモを記事にしようかと思いました。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その16,その17,その18,その19 スターリンの裁可下る
1枚目、木曜日の記事の続きで今日は漫画のラフを4枚描きました。
まずは一枚目。
2枚目、上と同じく。
3枚目、上と同じく。
4枚目、上と同じく。
という訳でラフは4,5枚描く予定でしたが
その19で切りがよいということで
次からは第二話としたいと思います。
なのでラフは4枚になりました。
今日は清書せずに
明日から清書して行きたいと思います。
次の記事では将兵のスケッチを既にやっているので
それを記事としたいと思います。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その15 休憩と再開
一昨日の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。/
大きいことから言うと直線はフリーハンドではなく
直接ツールにぶれるブラシ形状を適用した物を使いました。
直線がフリーハンドでぶれててあんまりよくないとは思っていたので
そこは改善出来たと思います。
顔はまだロシア人として描けていないと思うので
明日はまた男性の顔をやって描けるようになりたいと思います。
作品作ると足りない物が見えてくるので
漫画描いたのはよかったと思いました。
今日はこれで終わり。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その14 改良新型の必要性 ラフの清書
一昨日の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。/
2コマ目の人物をミハイル・カツコフ少将の画像を見つつ描いた訳ですが
タレ目の男性の顔をちゃんとかっこよくリアルに描くということが出来ずで
もっとリアルなところに持って行かないとなかなか厳しいと思いました。
明日は昨日やった戦車の足周りと将兵をやってみたいと思います。
そんなところで今日はこれで終わり。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その13 KV戦車の欠点 ラフの清書
前の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。/
4コマ目の顔はもっとかっこよく描きたいと思いました。
一応画像検索で本人の顔は分かっているのですが
上手く描けませんでした。
残り2枚のラフは平日やるとして
今日はプラモと他のことをやりたいと思います。
次に具体的に何をやるのかは少し考えたいと思いました。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その12の1 ラフの清書
前の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。/
今日は漫画を描くのは切り上げて
明日以降また漫画を描いて行きたいと思いました。
漫画自体はコマ割りでもっと大胆になった方が
いいかもしれないと思います。
次の記事で具体的に何をやるのかは少し考えたいと思いました。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その12,その13,その14,その15 KV戦車不要論の展開(2)
1枚目、先月の記事の続きで今日は漫画のラフを4枚描きました。
まずは一枚目。
2枚目、上と同じく。
3枚目、上と同じく。
4枚目、上と同じく。
という訳で漫画のラフを4ページ描きました。
次にまたラフを描く時は同じく4ページぐらいにしておこうかと思います。
午後は漫画のラフの清書やプラモを少し組んだりしたいと思いました。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その11 KV戦車不要論の展開
一昨日の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。
見せ方が難しいとは思います。
会議はもうちょっとテンポよくやりたいところで
色々学ばなければならないことが多そうです。
明日は将兵をまたやりたいと思います。
そんなところで今日はこれで終わり。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その10 パーヴェル・ロトミストロフ少将の証言
一昨日の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。
絵の前に話のテンポが悪いかとは思います。>
漫画は難しいと思いました。>
今は何とか絵についてもっと上達したいと思います。
そんな所で今日はこれで終わり。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その9 前線の将兵の召喚 清書
昨日の記事の続きで今日は漫画のラフ清書しました。
絵があんまり現実の人を想起させない問題だったり、
会議室を人込みでちゃんと描けなかったりと
色々問題があります。
なので明日からの平日も将兵を描いてみたいと思いました。
パースというか空間にももっと慣れる必要があると思います。
次の記事で何をやるのかは少し考えたいと思いました。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その9,その10,その11 KV戦車不要論の展開
1枚目、今月の記事の続きで今日は漫画のラフを3枚描きました。
まずは一枚目。
2枚目、上と同じく。
3枚目、上と同じく。
という訳で漫画のラフを3ページ描きました。
もっと複数ページに渡って考えられるようになるために
次は4ページのラフを出来れば描きたいと思います。
コーチン技師が主役だとすると
数ページに渡り主役不在となっていて
漫画は難しいとは思いました。
なかなか切り回せないところです。
次の記事で何をやるのかは少し考えたいと思います。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その8(1) 国家防衛委員会の開催 清書
先週の記事の続きで3枚描いたラフの内通しで7ページ目を清書しました。
最後のコマはラフと少し変えてあります。
考えて描いてみましたが難しいところです。
明日はまた将兵の絵に戻りたいと思います。
そんな所で今日はこれで終わり。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その7(1) 国家防衛委員会開会の辞 清書
昨日の記事の続きで3枚描いたラフの内通しで7ページ目を清書しました。
※この日の後で少し修正して上げ直しています。
人物等がんばってみましたが
もうちょいちょいリアルな描写に持って行って
見る人が世界に入れるようにしたいと思いました。
スターリンの新書等読みつつ肉付けしたいです。
次の記事で何をやるのかは少し考えたいと思います。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その6(1) スターリン同志の入室 清書
今日の記事の続きで3枚描いたラフのうちの通しで6ページ目を清書しました。
なぜか記事を上げるのを失敗していたようです。
今の感想としては会議室がちょっと広すぎたかとも思いますし、
やっぱり人を描きこなせないのはあると思いました。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その6,その7,その8 国家防衛委員会の開催
1枚目、今月の記事の続きで今日は漫画のラフを3枚描きました。
まずは一枚目。
2枚目、上と同じく。
3枚目、上と同じく。
今日明日と清書していければと思いました。
次の記事で何をやるのかは少し考えたいと思います。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その5 清書 義父との再会
昨日の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。
とりあえずコーチン主任技師とK・E・ヴォロシーロフが>
姻戚関係にあるのは伝わったかと思います。
K・E・ヴォロシーロフ、最終的には元帥は
顔写真があったのでそれを参考に色々と顔を描きました。
ある程度までは描けたと思います。
それでコーチン技師とK・E・ヴォロシーロフで
コーチン技師の顔が読む人を向いているコマが
1コマもないという失敗をやってしまいました。
どこかのコマでコーチン技師の顔を見せるべきだったと思います。
この続きはまた来週の土日に回すとして
今日の午後はまた違うことをやろうと思います。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その4 清書 KV戦車系列の責任者として召喚される
前の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。
いまいち欧米の人の顔の描き方が分からないというところで
ちゃんと西洋人と東洋人を描き分けたいところです。
首都モスクワ クレムリンのコマの建物は
まだ甘いところがあるのでもっと詰めたいところです。
描き込みでもっと質感を出せるといいとは思いました。
次の記事で何をやるのかは少し考えたいと思います。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その3 清書 KV戦車系列の責任者として召喚される
前の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。
コマが小さいのもありますが顔はもうちょい、もっと活きた顔を描きたいところです。
根本的にこの最後のコマから次のページに読者がページをめくってくれるかという問題があり
人に読ませる漫画の難しさを感じます。
次の記事で何をやるのかは少し考えたいと思いました。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その3,その4,その5 モスクワへの召喚
1枚目、今年4月の記事の続きで今日は漫画のラフを3枚描きました。
まずは一枚目。
2枚目、漫画のラフ その4です。
3枚目、漫画のラフ その5です。
課題ではあるのですが自分は今まで
15ページとかの単位で漫画のラフを描いたことがなかったので
少しでも慣らすために今までより少し多目の
3ページのラフを描きました。
それでちょっとアニメ私塾を見ていて
下手でも作品を作ろうとあって
最近の自分が練習のための練習という不毛なところにいる感じが
ものすごくしていたので思い切って漫画を再開しました。
そんなに簡単にクオリティを上げられませんが
今日は上のラフを清書したりしたいと思います。
次の記事で具体的に何をやるのかは少し考えたいと思います。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その2 一連の敗北の責任、清書
土曜日の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。
読む人の目をある程度留めさせる絵というのが描けないと
こういう漫画では厳しいと思います。
昨日の反省として今日は全面的に細かく描き込みました。
ただ、もっとリアリティを増すような絵に何とかしたいと思います。
意外と第二次大戦の頃の機関車、工場の画像などが
余り検索で出て来なくて
資料とか買えば手に入るのかどうかも不明ですが
少しづつでも集めて行きたいと思います。
そんなところで今日はこれで終わり。/p>
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その1 二つの戦車開発局、清書
一昨日の記事の続きで今日は漫画のラフを清書しました。
絵として一番問題になるのは1コマ目で
戦車工場の画像なども検索して参考にしましたが
リアリティのある工場を描けませんでした。
漫画としてのつかみがこれでいいのかは分かりませんが
明日も続けて描いてみたいと思います。
そんなところで今日はこれで終わり。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その3 モスクワへの召喚
昨日の記事の続きで漫画のラフを描きました。
コーチンは主任技師なのですがそこまで情報を入れられませんでした。
情報を適度に的確に入れて行くのはなかなか難しいと思います。
土日で描いた漫画のラフ3枚は月曜日から水曜日に清書したいと思いました。
次の記事で何をやるのかは少し考えたいと思います。
大祖国戦争におけるソ連の戦車開発 その1,その2 二つの戦車開発局
1枚目、続けていた戦争漫画は軍隊の生活に入り込みすぎたのと
少年兵を主役に据えたまではいいですが
どうもその辺りで戦争、軍隊描写がぬるくなってしまったので
違う切り口から新たに描いてみたいと思います。
2枚目、1枚目の続きになります。
今までは土日で1,2ページの漫画を描く感じでしたが
もうちょっとまとまった単位でラフを描いて行くこともやろうということで
土日に3枚程度漫画のラフを描いて
月~水ぐらいで一日一ページ清書する感じにしたいと思います。
なので今日は午前中に用事が入ったので2ページほどラフを描いて
明日の日曜日にもう一枚漫画のラフを描きたいと思いました。
底本としては雑誌グランドパワーの
2011年11月号のKV重戦車シリーズ(1)と
2008年2月号のスターリン重戦車になります。
読むと開発史みたいな物も結構面白いです。
次の記事で何をやるのかは少し考えたいと思いました。
絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の12
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
約1週間前の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思います。
『第15装甲師団の到着と同師団長の戦史
第15装甲師団は1936年4月1日
ダルムシュタットで編成された第33歩兵師団を母体としています。』
『第15装甲師団のトリポリ上陸は
港湾施設の処理能力などから
1941年3月28日~5月中旬までかかった。』
『ロンメルは追跡戦を担う部隊が
第5軽師団であるにも関わらず
その作戦指揮を第15装甲師団長プリトビッツに委ねた。』
『1941年4月9日午後
プリトヴィッツはシュヴェリーン(第200特殊任務連隊長)
の指揮所を訪れた。』
『1941年4月10日
ロンメルもシュヴェリーンの指揮所を訪れて
そこにいたプリトヴィッツに
「何をもたもたしているか!
敵が我々の手から逃げようとしているのだぞ」
と大声で命令した。
前線へと車でいそいたプリトヴィッツは
英軍の対戦車砲で吹き飛ばされて戦死した。』
『トブルク要塞の守りは固く、
陸軍参謀総長ハルダーの使者としてやって来た
ロンメルの友人のパウルス中将の
言を受け入れて
トブルク要塞への攻撃は中止された。』
という訳でロンメル戦記を読みました。
対仏戦、北アフリカ戦と
ロンメルは装甲師団を率いるという形にならなければ
こう読んできたロンメルの指揮のますさも
ここまでは出て来なかったのではないかと思いました。
土日は今後も出来るだけ
ミリタリーな書籍を読んで行こうと思います。
知っていることで絵にも説得力を
与えることが出来ればと思いました。
絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の11
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
昨日の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思います。
昨日の記事から続いて抜粋して行きますので
続けて読まないと分かりにくいと思います。
『イタリア軍将校
「将軍が部隊を進ませようとしておられる道は
危険です。我々が数カ月前に退却する時に
周囲に地雷を埋設しました」
とロンメルに警告した。』
だがロンメルの考えは変わらなかった。
シュトライヒは部隊にロンメルの命令の履行を命じた。
『トラックを運転して行った
世紀の戦車兵の代わりに
操縦経験のほとんどない交代要員に
戦車や装甲車へと乗り込ませた。』
『結果、未熟な操縦で車輌は
次々と砂漠にはまり込む。
部隊の一部はイタリア軍の地雷原で
次々と炎上した』
1941年4月6日
ロンメル DAK司令官「メキリの敵陣地を攻撃せよ」
シュトライヒ 第5軽師団長は拒絶。
ロンメル「貴官は卑怯者か!」
シュトライヒ「取り消して頂きたい!」
ロンメルは自分の言ったことを
取り消すと伝えたが
両者の間の感情的な亀裂は
シュトライヒが三ヶ月後に
師団長を解任されるまで
修復されることはなかった。
という訳でロンメル戦記を読みました。
こうなってしまうとロンメルは無茶苦茶としか
言えないと思うのですが
他の書籍も当たりたいと思います。
土日ということで二日の間の午前に
ミリタリーな書籍を読んできました。
また来週の土日に読めるといいと思います。
次は絵を練習したいと思いました。
絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の10
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
2週間前の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思います。
1941年3月24日の10日間で
第5師団は200kmの前進を遂げた。
だが同師団の燃料や戦車の備品などの
物資の大半は未だエル・アゲイラ西方の集積所にあった。
シュトライヒ第5師団長は
・師団の前進の停止
・燃料補給と車輌の整備
・兵士の疲労回復
のために四日を費やす許可をロンメルに求めたが
ロンメルは要求を却下した。
ロンメルは保有するトラックを全て空にし
戦車の操縦士に昼夜交代で運転させ、
物資を取りに行かせるように
シュトライヒ第5師団長に命令した。
1941年4月4日
ロンメル「第5軽師団の車輌が持つ
全てのガソリンを戦車と装甲車に移し替えて
海岸まで突進させよ」
と命令した。
少し読みました。
ロンメルの命令はなかなか無茶なものだとは思いました。
今後DAKの中でロンメルと部下が対立して行くことに
この章の題を見るとなりそうです。
自分は北アフリカでの戦いは断片的にしか知らないので
この書籍を通して少しでも知ることが出来たらと思います。
絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の9
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
昨日の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思います。
《ロンメルと陸軍上層部の方針の違い》
当面は現在の兵力で
敵地のイタリア軍を勇気づけ、
敵である英連邦軍を
「軽くいなしておく」
だけに留めるようにと
ロンメルに念押しした。
そして、1941年3月21日付で、
この方針を明記した文書による
命令が起草され、彼に手渡された。
《瞬く間にキレナイカを奪回したロンメル》
ロンメルがアフリカに帰還した翌日。
1941年3月24日朝
エルアゲイラの英軍を攻撃し、攻略した。
↓
1941年3月31日
メルサ・エル・ブレガへの攻撃を開始。
↓
1941年4月1日
アジャダビアを占領した。
(メルサ・エル・ブレガから80km東方)
1941年4月3日
ドイツ軍カイテルは
「貴官の任務は現在を守って
英軍を拘束することであると、
総統も理解されている。
もし限定的な攻勢を取る必要が生じても
現在の小規模な兵力の能力を
超えるような行動に出してはならない。
特にベンガジへの攻撃は
右翼(内陸部)から攻撃を受ける危険性に
注意しなくてはならない」」と
DAK司令官であるロンメルに電報を出した。
しかし、ロンメルは
1941年4月3日
キレナイカ西部で
大攻勢を開始した。
↓
報告を受けた北アフリカ英軍司令官ウェーヴェル大将は
キレナイカ兵団長のニームを罷免してオコナー復帰を決断する。
対してオコナーはあなたと私が現地に赴いて
ニームと共に防御体制を整えましょうと提案した。
これは最悪の結果を産んでしまう。
1941年4月6~7日にかけて
ニーム、オコナー
クーム准将(戦車部隊指揮官)がドイツ軍に捕らえられる。
1941年4月8日
ガンビア・ベリー(第2機甲師団長)も捕らえられた。
ロンメルは英軍から鹵獲した英軍仕様の
対ガス用ゴーグルを
自分の指揮官帽に取りつけ
これが北アフリカ戦線での
ロンメルのトレードマークとなった。
という訳でロンメル戦記を読みました。
こういう形での命令違反というのを
どう考えたらいいのか。
ドイツ軍ではヒトラーの死守命令に反して
撤退したことで更迭されるというのは
読んだ覚えがありますが
もっと色々と書籍を読んで行きたいと思います。
それでクルスクの戦いに関する書籍が届かないので
今日の午前は軍事に関する書籍を読むのは
このロンメル戦記だけにして
今日一杯で色々と描く練習をしてみたいと思います。
平日やっている練習の補完ということも
考えずに行こうと思いました。
絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の8
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
約一ヶ月前の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思いました。
《着々と進む攻勢の準備》
1941年2月17日
ロンメルは英連邦の小部隊が
エル・アゲイラから西に向かって
移動を開始した報告を受ける。
ドイツ軍は北アフリカの環境に順応して行きました。
1941年3月15日
独伊混成部隊が編成され
ムルズークへの行軍訓練が実施された。
これはドイツ軍の兵器が砂漠で
有効であるかのテストでもありました。
《ロンメルと陸軍上層部の方針の違い》
ロンメルは状況報告と新たな命令受領のため
ベルリンへ飛んだ。
出発に先立ちヨヘネ・シュトライヒ少将に
3月24日を以っての
エル・アゲイラへの総攻撃の準備を
整えるように命令した。
北アフリカにおける英連邦軍を統轄する
司令官アーチボルド・ウェーヴェル大将は
前線から報告や各種情報を検討した後、
北アフリカに上陸したドイツ軍部隊は
現段階ででは取るに足らない規模に過ぎず、
敵が数ヶ月以内に
キレナイカへの大規模な攻勢を
開始することは不可能であろうと判断した。
という訳でDAK司令官としての
北アフリカでのロンメルの活動が始まりました。
読んでみてまだアフリカでロンメルが
どう戦うのかは分かりませんが
読んで行きたいと思います。
注文しているクルスクの戦いの書籍が届かなければ
明日の午前もこのロンメル戦記を読もうと思いました。
絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の7
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
昨日の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思いました。
第五章『ドイツ・アフリカ軍団(DAK)』の途中からになります。
対仏戦は終わったが陸軍上層部を支配していた空気は
決してロンメルに対して好ましいものではありませんでした。
○ヒトラーから個人的好意を寄せられて
「贔屓」されていること
○ナチ党の宣伝に積極的に協力していること
○作戦中にたびたび上官の命令を無視したり
隣接する師団との協調を拒絶したりしたこと
これらのことが陸軍上層部に
広く知れ渡っていました。
1941年1月11日
陸軍総司令部はリビア阻止部隊(Sperrverband Libyen)
(後に若干の追加部隊を得て
→「フンク軽自動車化師団」→「第5軽師団」と名称は変わっていきます)
と名づけた部隊を指揮官をハンス・フォン・フンク少将として編成しました。
師団の内訳は
・第3装甲偵察大隊
・第39,559,605装甲猟兵(対戦車砲)大隊
・第2,8機関銃大隊
・第33高射砲大隊第一中隊
となります。
主要な抜粋は上記ですが補足的に抜粋すると
対仏戦後に論功行賞が行われましたが
ロンメルの階級には変化がありませんでした。
1941年になり年が明けた1月1日に
ロンメルは中将に昇進しました。
ムッソリーニ率いるイタリアは参戦してなかったのですが
ドイツの連勝に焦ったムッソリーニは参戦を決意しました。
軍人を含むほとんどのイタリア国民は、
ムッソリーニの宣戦布告演説を冷めた目で見ていました。
カトリック教徒が大多数を占めるイタリア国民の多くは、
新教(プロテスタント)のドイツと無神論のソ連によって、
カトリック教国であるポーランドが
分割併合された事実に衝撃を受けていたからである。
1940年12月9日に開始された英連邦軍の反攻作戦で
エジプトに領内に進行していたイタリア軍は大損害を被り、
イギリス軍がリビアに雪崩れ込んでくる事態となっていました。
ヒトラーは事前連絡のないイタリアのギリシア侵攻とその失敗や
ムッソリーニに高飛車に援軍を断られたために
ヒトラーのムッソリーニに対する感情はかなり悪化していました。
リビア領内の港湾バルディアが陥落し、
リビア東部の要港トブルクが危機に瀕すると
ヒトラーは重い腰を上げてイギリスの戦意を挫くために
北アフリカに自国の軍隊を送ることを決めました。
ヒトラーは最初に北アフリカに派遣する軍団の司令官を
マンシュタインと考えましたが
この時にはより大きなソ連侵攻作戦を構想している段階だったために
ロンメル将軍に白羽の矢が立ちました。
ここから感想ですが
こう読んでみるとヒトラー政権下での
ドイツ軍というのをよくも悪くも体現している
高級将校なのだとは思います。
また来週の土日にこの本の続きを読みたいと思います。
それとこの書籍とは関係がないのですが
このブログと関係する戦争漫画を描く上では
大分前に見てなかなかキツくて
見終えることが出来なかった
東宝の二百三高地という戦争映画があります。
こちらも出来たら再度見てみたいと思いました。
絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の6
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
約2週前の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思いました。
第四章『第7装甲師団長として対仏戦で活躍』の途中からになります。
結論的に抜粋すると
「脇目も振ら突進せよ」
「敵の射撃を受けても踏みとどまらず、
全力で射撃して応戦しながら突っ切れ」
というロンメルの戦術命令は
フランス軍との戦いで
戦史に特筆されるほどの大戦果をもたらした反面、
従来の方法と比較して
部下の生命をより危険に晒す戦術でもあったのである。
ムーズ河の渡河では
軍団の渡河用資材がムーズ川に到着した時、
ロンメルがホートの許可を得て、
これを自分の師団用に使ってしまったことにより
第5装甲師団長の怒りを買った。
さらに第5装甲師団長ハルトリープ中将が
自分の師団の戦車を対岸に渡して欲しいとロンメルに頼むと
ロンメルはこれを承諾して対岸に戦車を渡したが
ロンメルはこれを自分の指揮する第7装甲師団に
編入してしまった。
西方攻勢の期間中、ロンメルが攻勢全体における
第7装甲師団の位置づけや役割に着いて、
戦略的視点から関心を払っていたことを示す記録は、
これまで出版された彼の伝記や研究所には提示されておらず。
また彼が共に作戦行動を行った仲間の師団、
とりわけ第5装甲師団の行動や、
相互の位置関係などに
配慮した形跡も見られなかった。
と重要と見られるところを抜粋しました。
抜粋しませんでしたがロンメルの師団は
対仏戦中の戦死者数も多かったということで
上記のことと考え合わせると
師団長としての資質をかなり疑われるのは
仕方ないのかとは思いました。
とドイツ軍の高級将校の戦記を読んでみて
兵士、下士官の戦記とはまた違った視点が
あるのだと思いました。
今描いているクルクスの戦いでの
重戦車駆逐大隊の戦記でも
手記をただ漫画化するだけではなく
違う視点も読者が混乱しないように
入れることが出来るといいかと思います。
また明日このロンメル戦記を読もうと思いました。
絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の5
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
昨日の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思います。
第四章『第7装甲師団長として対仏戦で活躍』からになります。
1940年2月10日 第7装甲師団長としての勤務をスタートした。
1940年2月17日 ベルリンでヒトラーと面会し、
装甲師団長への就任を報告した。
ロンメルは第7装甲師団長の前任者であるシュトウンメに
ロンメル「装甲師団を指揮するコツを教えて頂けませんか。閣下」と聞くと
シュトウンメ「実行可能な方策が2つあったとして
常に大胆な方を選ぶといい。それが一番だよ」と言われました。
1940年5月10日 ドイツ軍の西方攻勢《秘匿名「黄の場合」》が開始されました。
少し補足を入れると1940年2月17日にロンメルは
餞別としてヒトラーから「楽しい思い出と共にロンメル将軍に送る」と書き添えられた
「わが闘争」を手渡されたそうです
第7装甲師団の戦車兵力は
計225両で
III号指揮戦車 8両
I号戦車 34両
II号戦車 68両
38(t)戦車 91両
IV号戦車 24両
からなっていました。
ロンメルは38(t)戦車(ドイツに併合されたチェコ製の戦車)は
時代遅れの数合わせの戦車ではないかと思いますが
同車の10トンに見たない車重は
ロンメルの意図している
機動的な運用に適合していることが判明します。
ドイツの対仏作戦は当初は第一次大戦の
シュリーフェンプランと大差ないもので
マンシュタインの装甲部隊でアルデンヌを突破する案は
相手にされず執拗に自説を主張したマンシュタインは閑職に
回されたりしてしまいます。
マンシュタイン案はヒトラーの朝食会にて
マンシュタインが自案を披露する機会を得たことで、
ヒトラーは次第にその虜となって行き、
参謀本部でも兵棋演習が重ねられて
必ずしもこの案が非現実的でないことが理解されて行き、
ドイツの対仏作戦は劇的に変化しました。
とまとめて来ました。
よく考えてみると北アフリカ戦でのロンメルというのは聞きますが
対仏戦でのロンメルというのは余り聞いたことがなかったので
これから読んで行きたいと思います。
また来週の土日にでもこの本を読みたいと思いました。
絵を描くためのインプットとして、山崎雅弘著のロンメル戦記を読む その1の4
山崎雅弘著のロンメル戦記 第一次大戦~ノルマンディーまでを
先週の記事に続いて読んで行こうと思います。
今回も要約と抜粋をしたいと思います。
第3章『戦間期の軍務とヒトラーとの出会い』の途中からになります。
1939年9月1日 ドイツ軍は隣国ポーランドへの侵攻を開始した。
そのポーランドと英仏は長年に渡り軍事面における協力関係にあった。
ポーランドはドイツに降伏し、
西半分はドイツに東半分はソ連の物となりました。
そして、ロンメルはポーランドの首都のワルシャワで
戦勝祝賀式典の警護責任者となります。
ヒトラーはオープンカーで市の中心部に向かいますが
捕虜となりガレキの除去作業をしていた
ポーランドの工兵は大量の爆薬を街路の地下に
埋設することに成功します。
しかし、爆薬は爆発しませんでした。
理由は今なお不明なようです。
もしここでヒトラーが爆殺されていたら。
警護責任者であるロンメルもただでは済まず。
最期の時を迎えていた可能性が高かった。
対ポーランド戦で見聞きした装甲師団の戦いぶりにより
ロンメルは装甲師団を率いて戦場で戦いたいと思うようになります。
ヒトラーにその意志を伝えると
ヒトラーは警護という任務を全うしたロンメルに対して
何かしらの報奨を与えたいと思うようになります。
ロンメルは陸軍から山岳師団の師団長に任じる内示を受けました。
第一次大戦の軍功を考えるとそれが適任と
考えられたからでした。
しかし、ロンメルは装甲師団を指揮したいとその内示を拒絶しました。
陸軍人事局は歩兵将校上がりのロンメルでは
専門知識が求められる装甲師団の指揮は無理だと
ロンメルの希望に何色を示しました。
本来ならここで終わる話が
どのようなルートで何が手配されたかは分かりませんが
陸軍省の反対は突然取り下げられて、
ロンメルは総統司令部管理部長を退任し、
第7装甲師団の師団長に任命されました。
という訳で第3章を読み終わりました。
軍隊の中の人事と独裁者の関わりを
少し読めたと思います。
出来たら明日も読みたいと思いました。
ミリタリーはなかなか難しい分野ですが
少しでも理解に努めたいと思います。